1:水道水φ ★:2012/10/30(火) 12:28:31.20 ID:???

∞日本王家の1級宝物、百済が作った?
∞正倉院所蔵コバルト色硝子杯
∞"百済金銅壷紋と似ている"
∞奈良博物館学芸官 論文発表
∞‘西域系統’見解と異なり注目

画像:最近、百済の匠たちの加工品であるという分析が提起された日本の奈良正倉院の7世紀 硝子杯(写真左下)。 左上は硝子杯脚支えの魚子紋、唐草紋を拡大した写真。右側はこの硝子杯の脚支えと瓜二つの紋を持った益山(イクサン)弥勒寺(ミルクサ)跡出土の金銅製舎利壷だ。 ハン・ジョンホ教授提供、<ハンギョレ>資料写真

135155213406_20121030

 高さ12㎝、優雅な円模様を本体にちりばめたコバルト色に輝く1300余年前の硝子杯の故郷はどこであろうか。 日本の古代の都、奈良にある日本王家の宝物倉庫、正倉院に所蔵された一級宝物 硝子杯の製作地と由来した経路を巡って韓国・日本の文化財学界の関心が集中している。 ひと目見ただけでも西域の風合いが感じられるこの遺物が百済で作られ日本に伝来したという日本現地専門家の研究結果が発表されたためだ。

 このような見解を発表した専門家は、去る27日からこの硝子杯を含む正倉院所蔵品特別展(11月12日まで)を開いている日本国立奈良博物館の学芸官である内藤栄だ。 彼は今回の展示図録に硝子杯を分析した論文を載せ、脚支えなどの模様と製作技法から見て百済で匠たちが加工して伝来した可能性が高いという見解を出した。 このコバルト色の杯はこれまで韓国・日本の学界で西域ペルシャ系統の様式を持った遺物として、シルクロード交流の産物として手に入ったという見解が有力だったが、百済加工説が提起されたことにより両国学界に少なからぬ波紋を起こすものと見られる。

 内藤が硝子杯の百済加工説を裏付ける根拠に挙げたのは独特の紋技法だ。 杯の下の金属支え部分の躍動的なうず巻き形の唐草紋(ツル紋)が2009年に全北(チョンブク)益山(イクサン)の弥勒寺(ミルクサ)跡の塔基壇部から発見されて世間の注目を浴びた7世紀百済末期の金銅製舎利壷の魚子紋(小さい魚卵形を満たして刻んだ紋)と瓜二つだったという点に注目している。 魚子紋は6~8世紀に唐と百済・統一新羅・日本などの地で共通的に現れる技法だが、小さな卵模様の魚子をぎっしりと満たさずに、まばらに満たすことで、あたかも怪獣の形のような唐草紋と似合うように構成した事例は百済の弥勒寺跡舎利壷の紋だけに見られるということだ。 また、硝子表面に丸い紋を付け加え装飾美を誇った技法は1958年に慶北(キョンブク)、漆谷(チルゴク)、松林(ソンニム)寺前塔内で華麗な舎利装飾具の中に納められているのが発見された円紋のついた舎利器とほとんどそっくりだ。 内藤は「百済と日本王室の密接な親交関係で匠たちが細工した多数の工芸品を日本に贈り物として送ったという点、百済滅亡後に多数の王族の匠たちが日本に渡って行ったという点等から類推して、この硝子杯は百済で加工されて伝来した可能性が高い」と主張した。

 これに対して韓国内学界の一部研究者たちも説得力があるという意見を示している。 仏教美術史学者ハン・ジョンホ東国(トングク)大教授は「当時、百済の匠たちは金属細工技術の側面で東アジア最高の技術力を保有していた」として「弥勒寺跡舎利壷の紋技法が韓半島だけの独創性を帯びているという点で非常に意味深い研究結果」と評価した。

>>2以降に続く

ソース:ハンギョレ 2012.10.30 08:10 修正 : 2012.10.30 09:26
http://japan.hani.co.kr/arti/culture/13176.html


http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1351567711/
3:水道水φ ★:2012/10/30(火) 12:29:27.82 ID:???

>>1の続き

 しかし大きな争点が解決したわけではない。硝子杯自体を百済で作ったか否かは、すっきりと解明されていない。内藤の論文も硝子杯の硝子は、硝子を発明した西域ペルシャ系統であり、百済は硝子杯を輸入して脚支えを加工した後に再び日本に渡したという推定で結んでいる。 しかし韓国国内の学者たちは松林寺舎利器や扶余出土の硝子玉などに見られる高度な金属・ガラス工芸接合技法などから見て硝子を自ら製作した可能性も少なくないと見ている

 756年聖武日王の愛蔵品を本山の東大寺に捧げたことにより始まった正倉院の歴史で硝子杯はいつ誰がどんな経緯で持ってきたかの記録はない。 展示の主管社である<読売新聞>は硝子杯が義慈王が日本王室に送った木製碁盤のように百済王室の朝貢品だという推測記事を書きもした。



参考サイト
第64回正倉院展|奈良国立博物館
http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2012toku/shosoin/2012shosoin_index.html
画像:瑠璃坏(るりのつき)

shosoin_top


4:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 12:30:37.06 ID:uGDB+2A5

まーた始まった


5:合言葉は、KGH!:2012/10/30(火) 12:30:54.43 ID:PQd7kA4O

<丶`皿´> 早く返還しる!


9<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 12:32:56.69 ID:1gwxayM5

でも百済でそういった高度の工芸品を作る為の道具の出土が殆ど無いっていう。


25:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 12:43:30.38 ID:qqBu3eVS

>>9
<丶`皿´> すべてチョッパリが奪ったニダ!


82<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 13:20:22.42 ID:P+uL6Bc0

>>9
秀吉が全部持ってっちゃったんですw


85璃 ◆laZuLi/Jn2 :2012/10/30(火) 13:22:31.76 ID:brMLnVug

また作ればよかったじゃないですか。


って秀吉????????????


87<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 13:23:51.05 ID:RW4RIitJ

>>85
朝鮮半島全土を100mくらいまで掘って、痕跡全部を持ち出しちゃったんじゃないの?w


12<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 12:36:32.61 ID:4bSechKO

韓国が文化文明を伝えたから、今の日本があるんだが。
ネトウヨってそういう過去のことを無視して、差別発言ばかりしてるよね


18:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 12:39:11.56 ID:xqDEt2eU

>>12
建国六十年そこそこの国が、どうやって世界一長い国号を持つ日本に文化を伝えたんだ?


21<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 12:42:00.39 ID:02pJNR6K

>>12
伝えるほどの文化文明があったのなら日本が併合する前にあんなに落ちぶれないだろ
今の日本なんて大部分が西洋からの流入で残りも殆どが中国だし。


81:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 13:19:27.61 ID:XO9GIPD1

>>12
基本、中国に朝貢をする形で文物を輸入した訳だが
この場合中国の「中華」としてのメンツから、日本が持っていく貢物より
中国の返礼の品の方がはるかに大きい
いわば、エビを捧げて鯛を貰って帰るような感じ
はるばる来た「客」に中国皇帝として粗末なお土産を持たせる訳にはいかなかった

朝鮮と中国も朝貢の形をとるがその内容は気の毒すぎるので触れない


328:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 14:47:48.67 ID:zyQiadb/

>>12
日王(笑)
世界の常識が通じない中国の韓国朝鮮地域が何を言っても説得力はないよ。


37:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 12:52:44.23 ID:BpfNgUJX

どう考えれも、ペルシャ産だと思う。
 ただ単に、南朝鮮からも出土しただけであたかも原産国だったような
 妄想の作文に意味はない。



41名無しさん@恐縮です:2012/10/30(火) 12:55:58.88 ID:mUTpAJzD

別に百済からでも構わないね。
いろいろな説があり可能性の一つ。有力かどうかはともかく。
確かに、百済イコール韓国ではないし、西域経由で流れてきた宝物
というほうがまだまだ自然かもね。


42:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 12:57:42.76 ID:PSKrI6XS

>>41
そもそも色ガラスの加工なんて中国ですらあんまり
記録が残ってないものを百済と結びつけても意味ない。
土台部分だけ半島で加工された、とかいう話ならあり得るのかも知れないけどね。


50:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 13:01:26.92 ID:5CkTSudm

韓国は無関係のくせに出しゃばるな。

  憲法原本すら紛失している馬鹿が、1400年以上前の宝物に口出すのもおこがましいわ。

   国璽も50年ぐらいの間に3回も紛失やで。あほ国家としか言いようがないわ。


52:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 13:01:37.76 ID:q2c31u/O

この記事と論文が事実としても、こういった人たちは
定期的に論文とか研究内容を発表していかないと昇進もありませんから
ちょっとの可能性でもあれば取り敢えずで論文書いたりします
先に書いちゃえば万一本当だったとき先駆発表できますから

多々ある論文の中の一つであり可能性としては皆無ではないということでしょう


68<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 13:12:06.37 ID:gvp1QNqL

>百済王室の朝貢品だという推測記事を書きもした。

日本に朝貢してた


71<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 13:13:38.49 ID:UdwqT0an

(´・ω・`)ササン朝ペルシャのペルシャ・ガラスでしょう?


75璃 ◆laZuLi/Jn2 :2012/10/30(火) 13:17:13.67 ID:brMLnVug

>>71
イラク「日本人、物持ち良すぎwwwwwwwww」


80(`ハ´  )< `д´ >( ´・ω・):2012/10/30(火) 13:19:03.78 ID:wNGFtrPT

これだけの宝物、ぽんと投げ出す、聖武天皇ってどんなん?

じゃまだったんだろうなあ。


280:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 14:39:42.50 ID:C8W4cE0S

>>80
投げ出したんじゃなくて、亡くなった後遺品を皇后が正倉院に納めさせた(保管させた)んじゃないっけか


91:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 13:25:58.74 ID:XViKf4Aq

>硝子杯はいつ誰がどんな経緯で持ってきたかの記録はない

韓国から盗まれたものニダ 返還を要求するニダ


96<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 13:30:02.89 ID:DxfcIKCX

石上神宮の宝物七支刀は百済が作った?

とかは書かないのかw


107<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 13:37:49.53 ID:LFUA8WJ4

>>96

それずいぶん前から言ってる
朝鮮ドラマにも出てた


104<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 13:36:04.91 ID:UdwqT0an

(´・ω・`)1500年くらい大事に大事に受け継いで保管して来ました。日本では「物」は
大切に長く使うと魂が宿ると信じられています。名前とかつけちゃったりして、変かな?


108:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 13:38:35.30 ID:CWHw8e6L

>>104
イギリスにもそういうのあるよ。
妖精が宿るらしい。


118:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 13:45:42.33 ID:NZmnR4BO

>>104
100年経つと妖かしになるんだよw


110<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 13:41:30.43 ID:Y8wNUrYe

韓国から奪ったものは全て韓国に返さないといけないよね


117璃 ◆laZuLi/Jn2 :2012/10/30(火) 13:45:41.22 ID:brMLnVug

>>110
在日韓国人とか在日朝鮮人とか、あと帰化済みコリアンの白眞勲その他ですね、分かってます。


124<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 13:47:08.73 ID:tnaTv6lZ

>> 内藤は「百済と日本王室の密接な親交関係で匠たちが細工した多数
の工芸品を日本に贈り物として送ったという点、百済滅亡後に多数の王族の匠たちが日本に渡って行ったと
いう点等から類推して、この硝子杯は百済で加工されて伝来した可能性が高い」と主張した。

日本王室って言っている時点で日本人じゃないだろ。日本人なら皇室って言う


129:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 13:49:03.91 ID:NZmnR4BO

>>124
韓国の新聞は日王以外使わないのよw
本人が皇室って言っててもw


128<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 13:48:43.93 ID:mFzLXv32

文化が朝鮮から伝わったとよく書物に書かれてるけど
文化財を比べると、大概日本のほうが優れてるんだよね。


135:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 13:50:38.90 ID:LFUA8WJ4

>>128

国力が違うからね
当時日本は太宰府=奈良まで
早馬で三日という高速すら作ってる


154<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 13:59:45.58 ID:OtmIp9Hi

世界最古の企業 金剛組
http://www.kongogumi.co.jp/enkaku.html

聖徳太子の命を受けて、海のかなた百済の国から三人の工匠が日本に招かれました。
このうちのひとりが、金剛組初代の金剛重光です。工匠たちは、日本最初の官寺である四天王寺の建立に携わりました。
重光は、四天王寺が一応の完成をみた後もこの地に留まり、寺を護りつづけます。


171<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 14:03:20.61 ID:8gVz4e8u

>>154
仏教建築については中国→百済→日本で間違ってない
新羅も中国→百済→新羅だけどな


173<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 14:04:12.77 ID:EnCPvQV6

蛮族が高等民族を滅ぼすというのは 実は ありきたりな出来事なのよ


181:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 14:06:48.33 ID:LRuVsC2S

>>173

何も亡くなった半島が一例だよな


186<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 14:08:19.63 ID:LFUA8WJ4

こないだアイリッシュの移民の話を読んだんだけど
イングランド人から見ると
「不潔、粗暴、協力をしらない、並ばない、謝らない」
無教養の人達だったらしいな
船の中で一緒になると一気にシラミ・病気を移されたとか

日本人の半島人差別と一緒なのかもなぁと思ったよ


194<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 14:10:10.11 ID:PSKrI6XS

>>186
問題は、アイルランドはその後自分たちの文化の再興をできたことだ。

日本はずい分朝鮮人に色々施したのになあ


209:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 14:13:30.95 ID:8gVz4e8u

>>186
アイルランドはアングロサクソンやらデーン人やらから何度も侵略を受けたけど、
はね返した長い歴史があるんだよね
これを反骨と見るのか野蛮と見るのか
イングランドに侵略されてからの搾取と、
元々生産性の低い土地柄で苦労したけど、
まあ地理的に田舎なので田舎者だってのも本当だけども


210<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 14:13:32.23 ID:X+knjtTo

今後、半島関係の発表には、
「百済」には、
「現在の南北朝鮮とは民族的文化的関連の一切ない」
と言う、枕言葉がひつようだな。


215:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 14:17:30.90 ID:LRuVsC2S

>>210

アメリカの必殺技「高句麗は支那の属国だった」第2弾は百済かもしれんw


226<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 14:22:43.97 ID:YKXAGzk/

事実が明らかになったら日本というアイデンティティが揺らいでしまう・・・。
だから一般公開を渋って学術研究もさせないと考える連中がいるのは分かるよ。
日本史というものは例えるなら日本における九州地方みたいなもので、
朝鮮という歴史の中に日本という地方があっただけにすぎない。
天皇も朝鮮人だし、古墳も一緒だし、文化も一緒だし、
もう今更日本という孤立した歴史があると思い込むのは恥ずかしいからやめたほうがいい。
奈良も京都も中国や朝鮮人の知恵を借りて作っている。これくらい常識として知っておくべきだ。


233:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 14:25:07.08 ID:NZmnR4BO

>>226
馬鹿だから逆だってことに気が付かないか?w
当時朝鮮南部は日本領ってことで日中が一致してるよw


240:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 14:27:38.57 ID:PSKrI6XS

>>226
違う。

前に北朝鮮系の教授が、それで学界引っ掻き回してから
あんまし相手にされてないんだよ。おかげで研究が停滞したからね。


342<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 14:49:38.50 ID:PSKrI6XS

イスラム圏の支配下だったから、西洋史からは影が薄いけど、
ペルシャ(中東地域)から東南アジアへのルートはあったんだよね。
東南アジアの陶器に、ペルシャあたりの影響が見られるのはその
流れも関係してるとかなんとか。


359<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 14:51:28.07 ID:NZmnR4BO

>>342
貿易が活発になると、たいていの生産地は貿易相手の好みのものを作り始めますw


368<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 14:53:17.03 ID:PSKrI6XS

だから日本の織部焼とよく似た陶片がペルシャの古代都市で発掘されるそうな。


378<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 14:55:45.03 ID:NZmnR4BO

>>368
江戸期の有田焼がどんどん絢爛豪華になったのはポルトガルを通じたヨーロッパからのオーダーのせいですね。


384<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 14:56:44.40 ID:PSKrI6XS

そそ。幕末の薩摩焼なんかも輸出のために作られてたから、すごい豪華w


396:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 14:59:33.26 ID:NZmnR4BO

>>384
日本併合期まで大規模貿易をしたことがない朝鮮人には理解できないのですよw

だから文化は西から東なんて馬鹿なことをほざくw


385破戒僧@セーフモード 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(3+0:9) 【東電 74.5 %】 ◆2ChOkEpIcI :2012/10/30(火) 14:57:13.56 ID:6Ht2hQQy

ペルシアって今のイランだっけ?
考古学者が瑠璃杯見て涙したってのはあったような。
あっちじゃ欠片しか出ないらしい。


394<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 14:58:59.32 ID:PSKrI6XS

>>385
ペルシャは運が悪いんだよ。
モンゴルに一度支配されて、次にティムールが暴れたから
廃墟になった都市が多いもんで。
日本も結構調査に協力して、だいぶ古代のいいものは発掘されてるんだけど、
ガラスはやっぱ壊れやすいし残ってないみたい。


493<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 15:11:46.16 ID:UASwgVUP

そういえば、古伊万里にコバルトの青い顔料が使われ始めたのって、
明治以降でドイツ人だかオランダ人がか持ち込んだんだっけ?


512<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 15:15:01.25 ID:PSKrI6XS

>>493
コバルト自体の歴史も、あれは面白かったなあ。
美濃焼きの加藤卓男さんが書いてたけど、あれだけ中東(ソーダガラスはエジプト)で
青の色が発達したのは、水への強烈な憧れが背景にあったらしい。
だからモスクなんかでも青が多いんだと。豊かな土地=水のある場所、だからね。


519Teresa Testarossa ◆Tessa/R5R8pz :2012/10/30(火) 15:16:42.76 ID:8asr73EB

ちなみに―

ペルシャ人は日本に7世紀ごろから「船」でやってきてたらしいですね。

A.(孝徳白雉五年)夏四月に、吐火羅国(とくわらのくに)の男二人・女二人、舎衛(しやゑ)の女一人、風に被ひて日向(ひむか)に流れ来たれり。
B.(斉明)三年の秋七月の丁亥の朔己丑に、覩貨邏国(とくわらのくに)の男二人、女四人、筑紫に漂ひ泊れり。言さく、「臣等、初め海見嶋に漂ひ泊れり」とまうす。乃ち駅を以て召す。
C.辛丑に、須弥山の像を飛鳥寺の西に作る。且、盂蘭盆会設く。暮に覩貨邏人に饗たまふ。或本に云はく堕羅人(たらのひと)といふ。
D.(斉明五年三月)丁亥に、吐火羅人、妻舎衛婦人(めしやゑのめのこ)と共に来けり。
E.(斉明六年)秋七月の庚子の朔乙卯に、高麗の使人乙相賀取文等、罷り帰りぬ。又、覩貨邏人乾豆波斯達阿(とくわらのひとげんずはしだちあ)、本土に帰らむと欲ひて、
 送使を求ぎ請して曰さく、「願はくは後に大国(やまと)に朝らむ。所以に、妻を留めて表とす」とまうす。乃ち数十人と、西海之路に入りぬ。
F.(天武)四年の春正月の丙午の朔に、大学寮の諸の学生・陰陽寮・外薬寮及び舎衛の女・堕羅の女・百済王善光・新羅の仕丁等、薬及び珍異しき等物を捧げて進る。


529破戒僧@セーフモード 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(3+0:9) 【東電 74.5 %】 ◆2ChOkEpIcI :2012/10/30(火) 15:18:04.92 ID:6Ht2hQQy

>>519
えーっと・・・事と次第によっては
古代ペルシア人の繫留の日本人がいる可能性ってのもあるのか・・・?


540:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 15:19:52.91 ID:LFUA8WJ4

>>519

これ読むと「トッカラ」だから「遠いカラの国」で
「唐よりも遠い国」って一括りにしてるっぽいけど面白いね


853<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 16:03:10.64 ID:Zv/FpbdP

南方ルートからの文物なんて残ってないだろ
韓半島由来の物しか残ってないんだから日本のルーツは韓国人で決着ついてるわ


940<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 16:15:03.11 ID:IDajwP/o

>>853
日本最古の稲作の遺跡は3800年前

半島南部は2000年前、北部の主食は粟などの雑穀


960<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 16:17:40.88 ID:EOBLPMiA

本最古の稲作の遺跡は3800年前
嘘付くなよ! C14測定でそんな結果あるのか?
嘘吐きは倭人の国技だな


987:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 16:23:07.02 ID:IDajwP/o

>>960
wikiで悪いが

>日本列島における稲作の歴史は長きに亘って弥生時代に始まるとされてきた。しかし、
近年になって縄文後期中葉に属する岡山県南溝手遺跡や同県津島岡大遺跡の土器胎土内から
イネのプラント・オパールが発見されたことにより、紀元前約3500年前から
陸稲(熱帯ジャポニカ)による稲作が行われていたとする学説が有力となってきた。

>また朝寝鼻貝塚の6000年前の地層からイネプラントオパールが発見されたことによって、
縄文時代中期以前まで遡るとする説も


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E4%BD%9C


ちょんはあほですな


881:18号鬼嫁日記クリリン会長 ◆0vu.ugU20s :2012/10/30(火) 16:06:22.77 ID:fzPfYzA8

稲作に関しては後漢末期の記述に河北一帯で稲作が出来ないと
書いてあるんだから、朝鮮半島から日本へは物理的に無理。


904璃 ◆laZuLi/Jn2 :2012/10/30(火) 16:09:52.51 ID:brMLnVug

そもそも縄文時代には朝鮮半島はほぼ無人でしたしね。
寒いし山が険しいしで、大陸から入り込む人も少なかったです。


916:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 16:11:18.15 ID:T0huPPlE

>>904
北方のエベンキ族が最後に流れついたのが朝鮮半島ですね。


944:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 16:15:14.44 ID:1WrunLRK

> 内藤の論文も硝子杯の硝子は、硝子を発明した西域ペルシャ系統であり、百済は硝子杯を輸入
> して脚支えを加工した後に再び日本に渡したという推定

たぶん可能性があるとすればここまでだろw
東アジアでまともなガラスの器つくれるようになったのいつからよ。


979 ◆UMAAgzjryk :2012/10/30(火) 16:21:26.36 ID:DKJmJNdP

まぁ
イランかペルシャあたりの品じゃね?


999:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/10/30(火) 16:25:29.88 ID:cuMufFBV

>>979
>イランかペルシャあたりの品じゃね?
百済産なら, 日本に製法が伝わりそれが記録されたはず。
そして、その場合は正倉院に収蔵もされなかった。

収蔵された=超貴重品で中国でも普通には無かったモノ




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