1: ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/ 2016/02/23(火) 00:27:18.25 ID:CAP_USER.net

  ・朝日謝罪から一年二カ月

 朝日新聞の「誤報謝罪会見」から一年二カ月が経った。今夏にようやく産経新聞の取材を受けた植村隆氏は、相変わらず「慰安婦問題の拡大は自分や朝日のせいではない」「朝日が日韓関係をこじらせたのではない」と主張した。だが、朝日新聞がことさらに「朝鮮人慰安婦を強制連行した」との構図を強調して書き立ててきたことは論を俟たない。

 新聞各社の「慰安婦報道」は縮刷版や記事データベースなどで検証可能であり、だからこそ朝日新聞は慰安婦報道に関する検証記事を発表、一部誤りを認めたのだろう。読者は忘れても、アーカイブはその足跡をすべて覚えているからだ。

 では、テレビ番組はどうか。ネット普及以前に放送された番組はほとんど検証できず、稀に動画サイトに上がってもすぐに削除されてしまい、番組内容は出演者や視聴者の記憶に頼る部分が少なくなかった。

 各放送局はいったい、慰安婦をどのように報じていたのか……。そこで行きあたったのが、横浜にある「放送ライブラリー」である。〈放送法の指定を受けたわが国唯一の放送番組専門のアーカイブ施設で、時代を伝えるNHK、民放局のテレビ・ラジオ番組、CMを一般に無料で公開〉している施設だ。

 テレビ番組約二万本、ラジオ番組約四千本を保存し、約一万八千本を公開。特にドキュメンタリーや歴史、文化などの教養番組、大河ドラマ、各時代の代表的なバラエティ番組などが充実している。 「慰安婦」というキーワードで検索すると、以下の五つの慰安婦に関するドキュメンタリー番組が登録されている(ドラマ、ラジオは除く)。

 1.一九八二年三月一日放送 『11PM 韓国から見た日本〔2〕(シリーズ・アジアと共に生きる〔4〕)』日本テレビ放送網

 2.一九九二年五月三十日放送『特別番組 汚辱の証言 朝鮮人従軍慰安婦の戦後』九州朝日放送 

 3.一九九二年八月十四日放送『NHKスペシャル 調査報告 アジアからの訴え 問われる日本の戦後処理』NHK

 4.一九九六年九月三十日放送 『NNNドキュメント96 IANFU インドネシアの場合には』中京テレビ放送 

 5.一九九七年十二月八日放送 『NNNドキュメント97 声閉ざされて、そして インドネシアの「慰安婦」たち 特集・戦争の時代に』中京テレビ放送 

 これらをすべて視聴したうえで、主に朝鮮半島の慰安婦について扱った1・2の番組に関し、内容を検証してみたい。

  ・まるで「啓発ビデオ」

1.『11PM 韓国から見た日本〔2〕』

 韓国・朝鮮半島とのかかわりを追った五回シリーズのうちの第四回で、従軍慰安婦のほか、樺太残留韓国人、BC級戦犯、在韓被爆者などの問題を取り上げており、その年の日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞を受賞している。


 結論から言ってしまえば、この番組が五本のなかで最も杜撰、かつおどろおどろしい作りになっていた。ドキュメンタリーというよりも、運転免許更新の際に見せられる「交通事故予防啓発ビデオ」に近い。「事故を起こせば人生終了」といったトーンの、あれだ。

 のっけから激しいBGMとともに、〈女子挺身隊という名の慰安婦〉と大間違いのテロップが画面の真ん中にドカンと現れる。

 続いて元軍医の麻生徹男氏のインタビューが挟まれているが、麻生氏が「(隊内に梅毒が蔓延しないように)慰安所を設けるよう意見書を提出した」と話す場面に、〈慰安婦に関する軍への意見書が朝鮮女性連行につながった〉と、ここでも意図的なテロップを表示。麻生氏の「かなりどぎつい集めかたをしていますね」のコメントとともに、視聴者に強く印象づけている。

>>2以降に続く)

『月刊 WiLL』 2016年1月号

梶井彩子(かじい・あやこ) 1980年生まれ。

iRONNA
http://ironna.jp/article/2855?p=1



2: ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/ 2016/02/23(火) 00:28:37.27 ID:CAP_USER.net

>>1の続き)

 麻生氏はたしかに意見書を提出してはいるが、内容は花柳病(つまり性病)の蔓延に関する報告が主であり、なかでも特に強調しているのは「娼楼ではない慰安の場所」、つまり音楽や映画、スポーツなどの軍用娯楽施設の設置を求めるもので、強制連行とは何の関係もない。

 麻生氏がこの番組に登場したのは、千田夏光氏の『従軍慰安婦』(一九七三年)の記述によるものだろう。千田氏は本のなかで、あたかも麻生氏が慰安所を考案した責任者のように書いている。ちなみに、本には「従軍慰安婦は挺身隊の名で集められた」との表現もある。

 麻生氏は軍医として慰安婦らの身体検査を行っており、当時の写真や状況を『戦線女人考』にまとめている。そのなかで、「支度金千円を払って急遽集められた女性たちが慰安所に連れてこられた」と書き残している。

 ところが千田氏は、『従軍慰安婦』に「レポートの結果として軍の目は当然のようにそこへ向けられていく。それは同時に、朝鮮人女性の怖るべき恐怖のはじまりでもあった。朝鮮半島が若くて健康、つまり理想的慰安婦の草刈場として、認識されていくことになるのだった」と書いたのである。

 そのため、麻生氏は世間から「慰安婦強制連行の責任者」であるが如く受け取られてしまい、なかには麻生氏の娘の天児都氏のところに「民族の恨みを晴らす」「責任者の娘としてどう思うか」などと言って押しかけて来たものもいたという。

 甘児氏によれば、〈千田氏はこの件が誤りであり、今後誤解を招く記述はしないと(中略)謝罪してきましたので、三一書房と講談社に改訂を申し入れましたが、二社ともそのままで出版を続けています〉とのことだ(麻生徹男・天児都『慰安婦と医療の係わりについて』)。

 この番組のテロップも、千田氏の本に沿って「麻生氏が慰安所設置の意見書を出した」「それが強制連行につながった」とミスリードを行っている。

  ・朝日より先だった日テレ

 番組はその後、韓国放送公社制作の元慰安婦の女性を扱ったドラマ「従軍慰安婦 ポンスンの空」の映像を紹介。〈日本軍は行く先々で従軍慰安婦を連行していた〉〈女子挺身隊という美しい名のもとに一身を捧げる〉〈(しかし)現実は兵隊たちに一日何十回となく体を提供することだった〉と説明を述べたのち、ドラマの映像がそのまま流される。

 場面は戦場。日本兵の上官が「慰安所に並べ」と言うや否や、若い兵隊たちが慰安所内の女性に襲いかかる場面に「ギャーッ」と女性の悲鳴。

 その次の場面では、兵隊にまぎれて行軍するチマチョゴリ姿の慰安婦。疲労で倒れる慰安婦を無理やり歩かせる日本兵が描かれている。「ヘイタイサン……ヘイタイサン……」と片言の日本語で兵隊に助けを求める慰安婦の姿が痛々しい。

 このドラマは、元慰安婦のポンスンが戦後も実家に帰ることを許されず、売春観光に訪れる日本人観光客を相手に売春を強要される女性の代わりに殺人を犯し、投獄されて精神を病む……というストーリーだ。

 八〇年代の日本人男性の「売春観光」と慰安婦の存在を結び付け、「今も昔も韓国人女性を蔑視する日本人」「その日本人によって精神病に追いやられたポンスン」を印象付ける。

 たしかに、戦後の「売春観光」が慰安婦問題勃発の下地になっていた可能性はある。

 だが、11PMのこのシリーズ自体は「ドキュメンタリー」というジャンルでありながら、内容はドラマの筋書きにすっかり乗っかっている。

 さらに番組では〈しかし事実はもっと広く大きかった〉とのナレーションのあと、兵隊ではなく労働者の相手をさせられたという元慰安婦のインタビュー映像を挟む。暗い部屋に座る元慰安婦らしい女性のシルエットを映しつつ、証言が流れる。 「嫁入りの口がある、と騙された」 「日本人が引っ張ってきた」 「虐待に耐えられず四人が自殺」 「日本人は薄情」

(更に続く)



4: ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/ 2016/02/23(火) 00:29:10.46 ID:CAP_USER.net

>>2の続き)

 三十四分の番組のうち慰安婦のパートは十四分程度だが、過剰なBGMや再現ドラマ、元軍医の証言と盛りだくさんの内容で、破壊力十分。だが、とても賞に値する番組とは思われない。 『11PM』は深夜のワイドショー番組で、一九六五年から九〇年まで続いた長寿番組。当初は硬派な番組だったが視聴率が取れず、麻雀や酒、お色気に至るまで幅広い話題を取り上げる番組に変貌を遂げた。 『韓国から見た日本』が放送されたのは「テコ入れ後」の一九八二年三月一日だが、この『韓国から見た日本』以外にも、一九七二年の沖縄の復帰を扱い、こちらも賞を受賞している。

 一九八二年三月一日という放映日にも注目である。朝日新聞(大阪版)が吉田清治証言を初めて掲載したのは、一九八二年九月二日。日本テレビは、朝日新聞の吉田清治報道より半年も前に「従軍慰安婦の強制連行」を取り上げていたことになる。

 しかも、早くもこの時点で「女子挺身隊と従軍慰安婦を混同」しており、植村隆記者の一九九二年の記事を先取りしている。

 朝日新聞の「慰安婦報道」検証では、読売新聞は産経新聞に次いで「朝日批判」の色を強めていたが、ともすれば「朝日以上」の番組を系列のテレビ放送網が放映していたことを、読売関係者はご存知だろうか。

  ・朝日ソウル支局が協力

2.『特別番組 汚辱の証言 朝鮮人従軍慰安婦の戦後』

 九州朝日放送のこの番組は、1.に比べれば「ドキュメンタリー番組らしい」内容で、やはり「地方の時代」映像祭一九九二優秀賞受賞作だ。

 主に元慰安婦の「文玉珠」を中心に描かれており、彼女が福岡の団体に招かれて来日、「戦後四十七年、ようやく重い口を開き始めた」という、まるで植村記者の金学順報道の見出しのようなトーンで彼女を追うドキュメンタリー。 

 番組放映日は、一九九二年五月三十日。植村記者の金学順記事は前年の八月十一日だから、この記事の影響するところは多かっただろう。九州朝日放送制作のこの番組のエンドロールにも、制作協力として「朝日新聞ソウル支局」が名を連ねている。

 番組は文氏が日本で開催された慰安婦集会に登壇し、「平日は三十人から四十人、日曜には六十人から七十人の相手をさせられた」と語るシーンから始まる。

 そして、すぐに韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の尹貞玉代表(当時)が登場。尹氏は「慰安婦問題で日本は彼女たちを三度殺す」と述べ、「一、ひどいことをした。二、忘れられていた。三、謝罪がない」の三重苦を負わされていると発言。このまま謝罪がなく、日本人が日本の若者に慰安婦の事実を教えなければ「三度目の死となる」と述べる。

 場面変わって、文氏の来日支援を行った慰安婦研究家の森川万智子氏。彼女は文氏の著作『文玉珠 ビルマ戦線 楯師団の「慰安婦」だった私─教科書に書かれなかった戦争』(梨の木舎、九六年。新装増補版は二〇一五年)の構成と解説を担当している。番組では、福岡で「慰安婦一一〇番」という電話相談を受ける団体の代表として登場。「市民として過去を清算したい」と述べる。

 この番組で文氏は、「十八歳でビルマへ行った。食堂に行けば稼げると言われた」と話す。文氏の本によれば、もともとキーセン学校に通っていた文氏は、一度、憲兵らに連れられて慰安婦になったが故郷に戻り、次は友人から「食堂で働き口がある」と聞いて行ってみたところ、実態は慰安所だった。が、「やはりそうか」と納得したという。

(更に続く)



5: ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/ 2016/02/23(火) 00:29:45.71 ID:CAP_USER.net

>>4の続き)

  ・「人間的な」兵士との交流

 文氏は番組で、涙ながらに「夜明けまで相手をさせられて死にそうでした」と述べているが、文氏の本には意外な場面が描かれている。

 それは慰安婦・文がヤマダ(仮名)という日本兵と懇意になるくだりだ。 〈わたしは一生懸命ヤマダイチロウの無事を祈った。二、三カ月して、前線からヤマダイチロウの部隊も戻ってきた。ヤマダイチロウは無事だった。すぐに慰安所にきた。 「ヤマダ上等兵、無事帰還いたしました」

 ヤマダイチロウはわたしに向かって敬礼した。私たちは抱き合って喜んだ。そういう日はマツモト(という朝鮮人の男。慰安所の引率者)公認で、慰安所全体も大騒ぎになり、開店休業だ。さっそくわたしたち慰安婦も一円ずつ出し合って大宴会をしたのだった〉(文玉珠『「慰安婦」だった私』、補足は筆者)

 もちろん、過酷な記憶と楽しい記憶が共存することはありうるため、これを以て「慰安婦としての生活は悲惨ではなかった」とは必ずしも言えない。また、この本の内容は「真偽定かならぬ部分もないわけではない」(秦郁彦氏)との指摘もあるとおり、兵隊を蹴り飛ばした、刺し殺したなどの箇所もある。しかし、エピソードのすべてが創作とも思えない。

 また、番組で文氏の「人間的な」兵隊との交流に全く触れていないのは不自然だ。文氏をことさら「かわいそうな被害者」としてだけ描いており、本にあるような人間性や女性としての逞しさ、明るさは番組からは全く感じられないのである。

 番組では、元日本兵や軍関係者も証言者として登場する。 「九州の兵隊は慰安婦がいないと元気が出ない」 「(慰安所は)日本にもあった特殊飲食店の一環。悪いとは思わない」 「女は消耗品だから助けなくていいと言われた」

 その後、さらに二人の慰安婦が登場。韓国・城南市の沈美子氏の証言。 「日本地図に刺繍しろと言われ、朝顔の刺繍を入れたら『桜を入れろ』と罵られ、日本の警察に焼きゴテを当てられた。気を失っている間に連行され、気がつくと福岡にいて、その後、『七番』と番号で呼ばれる慰安婦になった。先生になりたかったが日本に踏みにじられた」

 ハルモニ食堂を経営する黄錦周氏。 「勤労挺身隊として紡績工場に行くのだと思ったら、樺太に着くなり服を脱げと急に言われた」

  ・封印された記憶

 そして文氏が市民グループの手引きで来日し、集会で証言をする場面が流れる。 「大日本帝国国民となります、と言わされたのに、この仕打ちは酷い」

 この発言には驚いた。番組制作側は、「大日本帝国=悪」だとしてこの発言を削らなかったのだろう。だが文氏の本の記述を読むと、また別の思いを感じ取る。〈戦地の軍人たちの思いと、わたしたちの思いとは同じだった。ここに来たからには、妻も子も命も捨てて天皇陛下のために働かねばならない、と。わたしはその人たちの心持ちがわかるから、一生懸命に慰めて、それらを紛らしてあげるよう話をしたものだった〉(『同』)

 番組内の元軍人の証言でも、慰安婦とのこんなやりとりが語られる。 「(軍が引き揚げるとき)慰安婦たちは『連れて行って下さい』と言っていた。『途中でお金が必要になったら、私たちがたくさん持っています』と言って、もう三文の値打ちもない軍票を見せていた。『死ぬ時は一緒に死にます』と泣きつかれて……」

 涙を拭う元軍人。

 この二つの場面には胸を打たれた。軍人と慰安婦の間には、戦地特有の一体感さえも生まれていたことになる。「戦地」に置かれた女性と男性の、悲しい「同志の心」だったのだろう。だが、いまや、それは日韓双方で語られることはなくなってしまった。

 彼女たちの真の歴史を奪ったのは挺対協だけではない。朝日新聞などが「強制連行」を強調して報じたことにより、慰安婦になった本当の経緯や、戦地で生まれていた軍人と慰安婦の関係についての真相は「反日」の幕で覆い隠されてしまった。彼女らの真の証言を、朝日新聞や挺対協が封殺したと言っていいだろう。

 もはや、元慰安婦たちが「あの頃、日本の軍人さんとどのような関係にあったか」「どんな雰囲気だったか」を率直に話すことはできまい。特に韓国では、「親日売国奴」の汚名を着せられかねない。

 真の和解のための“よすが”になりえた共通体験だが、可能性は潰されてしまった。そして、「戦地でたしかに存在していた慰安婦と軍人の関係」は歴史の狭間に葬り去られることになる。

(更に続く)



6: ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/ 2016/02/23(火) 00:30:38.24 ID:CAP_USER.net

>>5の続き)

  ・「母に楽をさせたい」

 その後、番組は文氏が支援者に付き添われて下関郵便局を訪れ、野戦郵便局から貯金していたお金を返してほしい、と交渉する場面が流れる。日韓協定で決着がついている以上、日本側から個人にお金を払うことはできない、と断られるが、諦められない文氏の表情が大写しになる。

 慰安婦が性奴隷ではなく、「高収入の売春婦」だった証として「慰安婦の収入明細」のように紹介される「文原玉珠」名義の貯金通帳明細は、この文氏のものだ。政府の調査でこの記録が出てきたのだが、たしかに文氏は二万六千円もの貯金をしている。当時の二万円は、現在の六千万円相当とも言われる(ただし戦地のインフレ率や軍票との関係により諸説ある)。

 文氏は、本にこう書いている。 〈事務を仕事にしている軍人に、わたしも貯金できるか尋ねると、もちろんできる、という。兵隊たちも全員、給料を野戦郵便局で貯金していることをわたしは知っていた〉 〈どんなに働いても貧しい暮らしから抜け出すことができなかったわたしに、こんな大金が貯金できるなんて信じられないことだ。千円あれば大邱に小さな家が一軒買える。母に少しは楽をさせてあげられる。晴れがましくて、本当にうれしかった。貯金通帳はわたしの宝物となった〉(『同』)

 貧しさのなかにあった文氏が、こつこつ貯めた財産だ。それが戻らないのは気の毒ではある。「カネをもらっていたのだから奴隷であるはずがない」という主張はたしかにそのとおりだが、結果として「母を思いながら、春をひさいで貯めたお金が手元に残らなかった」恨み、悲しみに寄り添う必要はあろう。

 だが番組内でも説明があるように、補償関係はすべて日韓協定で「解決済み」となっているのである。

 個人補償よりも国家の発展を選んだのは韓国政府である。もちろん、その国家の発展の恩恵を文氏も少なからず受けてはいるだろうが、やり場のない怒りがすべて日本に向いてしまっているのは、日本にとっても文氏にとっても不幸なことである。

 一生懸命働いたのに、お金が残らなかった。母に楽をさせてあげられなかった……彼女にそんな思いがあったのだろう。その思いを「運動」のために利用した人々がいる。

 女性たちの思いに報いようとしたのが、アジア女性基金だった。少しでも元慰安婦たちの心に寄り添い、生活を支援しようとした動きだったが、韓国側運動団体はこれに激しく反発。元慰安婦の女性たちに受け取りを拒否するよう圧力をかけた。

 いまでこそ取り組みを評価している朝日新聞も、当時は韓国側の空気を慮ってか、この取り組みを必ずしも支持しなかった。彼女たちが「恨みを残したまま死ぬ」ように仕向けたのは誰だったのか。

  ・元慰安婦の涙

 番組では、支援者が開いた文氏の誕生日パーティの模様を映し出す。 「自分の誕生日も知らなかった私を祝ってくださってありがとうございます……」

 文氏は涙にくれる。そして、「戦場から戻った軍人に呼ばれて同席した宴会のために覚えた」という歌を披露する。

「生れ故郷を 何で忘れてなるもんか
 昨夜も夢見て しみじみ泣いた
 そろそろお山の 雪さえ溶けて
 白いリンゴの
 花がちらほら ああ 咲いたろな」(「リンゴ花咲く故郷へ」正しくは“咲くだろな”)

 故郷から遠く離れた戦地で、立場は違えど、軍人と慰安婦は、この歌を歌いながらともに故郷を思っていたのだろう。文氏が本に書いたような軍人との交流もあったからこそ、彼らが歌っていた歌を忌み嫌わず、懐かしく口にしたのではないか。

 生死の行方も知れない戦争のさなか。いまよりもずっと貧しい時代だ。いまの価値観で善悪を判断することはできない。「連行されたに違いない」「軍人を恨んでいたに決まっている」とするのは、元慰安婦らの生きた足跡を、いまの価値観で全く別のものにしてしまう可能性がある。

(更に続く)



7: ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/ 2016/02/23(火) 00:31:07.66 ID:CAP_USER.net

>>6の続き)

 番組終盤で再度、挺対協の尹氏が述べる。 「日本がやったことは韓国人の人格を貶め、日本人自身も失った。戦後処理をしなければ絶対に忘れません」

 だが、慰安婦という職業についた女性に「賤業」のレッテルを貼り、さらには「日帝のために働いた女」として社会から排斥した韓国社会にも問題はなかったか。

 番組に登場する元慰安婦・沈氏も、「結婚もできなかった。友人の家族を見ると辛い」と涙を見せている。

 誕生日を祝われて涙を見せる文氏にも、元慰安婦として名乗り出たあとには、「お金のためでしょ」「もう付き合いをやめる」という電話があったそうだ。

 いまも運動のためにだけ駆り出され、寒空の下、あるいはカンカン照りの路上で泣き、「悲惨な体験」を語ることのみを求められ、世界各国を「ドサ回り」させられている老女たちがいる。そんな姿を見るのは本当に心苦しい。

 罪を犯したのは誰か 「少女の頃のことを忘れたくなかったから」とピンク色のチマチョゴリを着た理由を語る文氏。取材陣に手を振る姿を映して、番組は終わる。そこにいるのは、戦争という時代と苦労の人生を歩んだ一人の老女である。

 和解は双方が目指さなければ決して成り立たない。

 歴史には光も影もある。その双方を織り込み、「ありのままの体験を話すことで『和解』を果たす」道を取っていれば、日本人の多くは彼女たちとその人生に心からの深い同情を寄せられたはずだ。

 だが慰安婦問題を運動に仕立て上げた人たちは、彼女らに「強制連行」の嘘をつかせ、日本人を恨ませ、生活の足しになるはずのお金を渡すことすら妨害した。そして互いの猜疑心は膨らみ、日本人からの女性たちに対する同情心さえ離反させてしまったのである。

 朝日や「強制連行」派の学者、テレビ関係者、運動家は日本人の名誉を貶めただけでなく、このような元慰安婦たちから「真実の歴史」「生きた証」を奪い去った「罪」をも負っているのではないだろうか。

(おしまい)



13: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/ 2016/02/23(火) 01:12:49.49 ID:8obFnVwf.net

そーいや「ワイルド7」の中で
11PMのタレント議員やキックボクシングのジムが悪役になってたなw

同じ満州帰りの人間でも日本人と某国人とじゃ感じるものが違ったのかね?



17: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/ 2016/02/23(火) 01:24:38.82 ID:mgqm4cKB.net

馬鹿マスコミによる火付けと、左翼の自虐史観誘導の歴史を検証することができるとは。
時代は変わるものだな。



20: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/ 2016/02/23(火) 01:47:27.45 ID:ILFtmOAz.net

>樺太残留韓国人

このシリーズの放送が1982年の1月から3月までだが、この年に吉田清治が高木健一弁護士による在樺朝鮮人の樺太残留者
帰還請求訴訟で済州島の朝鮮人奴隷狩りの証言を証人としてしてるんだよ。
10月に朝日新聞に吉田清治が樺太裁判で朝鮮人壮年男子を連行したと証言したとの記事が載った。
訴訟自体は1975年から始まっている。



21: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/ 2016/02/23(火) 01:49:10.87 ID:nlQqCSba.net

左翼の自由は酷いね庇い合いの糞共


23: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/ 2016/02/23(火) 01:51:50.09 ID:afggxqYC.net

詐欺に等しい


24: 幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/ 2016/02/23(火) 01:55:12.80 ID:SN00aP5u.net

82年から92年まで10年も間が空いているのは何でだ?


27: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/ 2016/02/23(火) 02:06:04.37 ID:ILFtmOAz.net

>>24
空いてはいない。
ちょくちょく慰安婦本が出たりしている。
1982年は朝日新聞が若宮などを初めて韓国に語学留学させ韓国専門記者の育成をし出した時期だ。
松井やよりはキーセン観光批判から慰安婦にスライドし、80年代後半に活動の相方の高橋が韓国で焚きつけた。
高木弁護士は1989年に樺太残留者の訴訟の功績で韓国から勲章を貰い次の活動を示唆した。
各方面でそれぞれの活動が行き詰まりを見せ冷戦末期の左翼の敗北確定の空気の中、次の活動として韓国人慰安婦
に重点を置いた。
この程度はネット検索で調べればたいした時間もとらずにわかるものだ。



25: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/ 2016/02/23(火) 01:56:55.92 ID:ILFtmOAz.net

因みに1977年に吉田の「朝鮮人慰安婦と日本人」が出版され、朝日新聞の松井やよりがアジアの女たちの会」
(後のアジア女性資料センター)を設立した。



30: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/ 2016/02/23(火) 02:13:44.24 ID:OrG9UTkJ.net

出てきたのは朴正煕の犯罪ばかり


29: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/ 2016/02/23(火) 02:10:57.97 ID:tR329mLg.net

先日、
いまだに毎日放送が深夜ラジオの特番で
強制慰安婦のキャンペーン特番を流してて驚いた
出演者は匿名の自称朝日新聞と毎日新聞記者
これはどう見ても
民団と総連の共同番組だよな



37: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/ 2016/02/23(火) 03:19:08.21 ID:MgWBDO17.net

>>29
西日本新聞とかも、以前裁判やって負けた相手企業にデモりにきた
元挺身隊のババアどもの言い分だけ記事にしてた記事あったなぁ。
給料払ってた証拠だされて負けたのに営業妨害とかで訴えられないものか・・・



32: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/ 2016/02/23(火) 02:17:32.17 ID:bu+0C4CA.net

ながいw
一般の目に触れる記録が残りづらいから取りざたされなかったが、検証すると
日テレが朝日より先にやらかしてた
ネトウヨと呼ばれる者たちの主張通りの内容も報道されていた(この事実は現在では忘れ去られているらしい)
ってことが解りましたって内容ね?



33: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/ 2016/02/23(火) 02:27:08.27 ID:S/Z0aVDa.net

慰安婦産業だからね 中立であるべきという建前は通らない
報道は悲劇性を出した方が金になるし女性の味方というイメージアップもあると踏む
昔はそれで通ったけど、今はみんな自分で情報を集められるから「嘘だよねこれ?報道は日本人の味方じゃないの?」という疑問を抱く
そのうち在日枠などの歪んだ構造までたどり着いて、後にはメディアへの不信感だけが残る



35: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/ 2016/02/23(火) 02:50:11.91 ID:HHjg5C/S.net

これは免許取り消しですわ。酷過ぎる、これがジャーナリズムかねぇ?
狂ったプロパガンダじゃないか、アメリカ軍資料にプロの売春婦と書いてある、
当時戦っていたアメリカ軍がそう書いてる、それが真実だろうよ。それ以外あるのかと、
アメリカ軍が捏造部隊だと言いたいのなら韓国はアメリカにそう言えば良い。
それで同盟が終わるだけの話だ。素晴らしいことじゃないか。



39: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/ 2016/02/23(火) 06:37:02.15 ID:uP25HOdX.net

テレビってのは、社会に対する影響力がものすごく
大きいのに、あとから再検証するってことが難しい
っていう問題があるんだよね。





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